桜の開花宣言があちらこちらで出てきました。
東京も開花したらしいのですが、昨日の公園の桜はまだつぼみでした。
これまでにたくさんの投票をいただき、ありがとうございます。
最初にねこさんたちとこたろう君に、身内票をそれぞれ1票入れたのですが、
それほど登場回数の多くないねこさん&こたろう君にも票が入り、とても嬉しいです♪
(実は0票もありうると思ってた・・・(汗)
あしながおじさんに、フェレぞうくんまで登場してる(これにはビックリ!)
また空き枠を付けるべきか・・・
考え中・・・考え中・・・(平成教育委員会の勉強小僧のイメージで)
トリオは純粋に皆様の投票です(笑
ちょびぃ君、やはり強いです!
このブログをはじめるきっかけが、CATNAPさんの保護犬であったちょびぃ君を、
仮母さまの月さんのところでうっかり見初めて、
トライアルをはじめることになったことからでしたからね~(^^)
ちょびぃ君、喜びのうんぴ?
はなさんも少しは避ければいいのに、絶対に動かないのだから(笑
考えると、はなさんの健闘はなかなかなものですね!
かい君も頑張ってますが、やはり姐御の強さには追いつけないか・・・
今日もこたろう君の続きを書いておこうと思います。
こたろう君とは毎年一緒に、キャンプに行っていたわね♪
こたろう君、12歳を過ぎたあたりから、ときどき足をひきずるようになってきました。
目やにもずっと出ているし、いつもきれいだった耳が外耳炎になり、
なかなか治らなくなってきて・・・
年をとってきたということなんでしょうが、でもまだ12歳!
じじさんやさんぼさんが長生きしていることもあり、
こたろう君は余裕で18歳くらいまでは大丈夫だと思っていました。
でもあちこち痛いためか、触られることを非常に嫌がるようになり・・・
なにせ20キロオーバーの中型犬の大(大型犬の小?)
嫌がってあたる歯で流血騒ぎになることもあり、
他の人には触らせることのできない子になっていったのです。
まだまだ元気だった頃、
遊んで泥だらけになって帰ってきたときかな?
特にはなさんの汚いこと(笑
今日もみんなで仲良くおやつ待ち♪
そして墨田区に越してきてから半年後・・・
13歳の誕生日の1週間後のことです。
(こたろう君もまた正確な誕生日はわからないのですが、想像できる近い日のぞろ目の日、
11月11日で決めました)
突然(まさに突然という感じでした)左の後ろ足がかなり腫れて歩けなくなり・・・
ワクチン、フィラリアなどは以前の病院ですませていたので、
まだこちらで診てもらう病院を決めていなくて、あわてて病院探しからはじまりました。
何を気にしているかというと、大きいうえに触ると大騒ぎする子を嫌がらずに診てくれるかが、
心配だったのです。
以前の病院でも、先生2人とチチかハハの3人がかりで抑えていたりしたのです。
近くの病院から順々に電話して、大きくて暴れる子でも大丈夫かを確認して・・・
すると、今の病院が一番ためらいもなく、まるであたりまえのように、
「大丈夫ですよ♪すぐに連れて来れますか?」と言ってくださったのでした。
早速連れていき、診てもらったところ・・・
これは大変という事になっていき・・・
足ばかりが気になっていたのですが、実はあごの下にも瘤のようなものがあったのです。
そして先生の診断は『悪性リンパ腫』
全く想像もしていない病名でした。
それもかなり進行していて、肝臓にも広がっているとのこと、
とにかく細かく血液検査をしてみましょうということになりました。
結果は先生が驚いたことに、内蔵の数値は全くの正常値でした。
ただ白血球が通常の3倍以上の数値で、赤血球やヘマトの数値も低く、
今の進行状況では余命2週間~1ヶ月との宣告が・・・
『悪性リンパ腫』は完治できない病気であること、抗ガン剤は対症療法でしかないこと、
それでも犬の『悪性リンパ腫』には抗ガン剤が良く効く子が多く(特に小型犬)
抗ガン剤の効果が出れば、1年以上の存命率がかなり高いこと・・・
しかしこたろう君の場合は、年齢や体重からも完全には期待できないし、
かなり高額の治療費になるので、
このまま最後までなるべく痛みだけを抑えてあげる治療も可能であること・・・
などの説明をしていただき・・・
頭が混乱していました・・・
気がつくと涙が出てきて・・・
先生に「今すぐに決めなくてもいいのですよ」と優しく言われ、はっと我にかえって、
「抗ガン剤の治療をお願いします」と言っていました。
先生はちょっとほっとした感じで、
「ではすぐにはじめましょう!早い方がいいですからね」
こたろう君、最初の2ヶ月間の抗ガン剤は実によく効いて、
足の腫れもあご下の腫れもほとんどなくなってきたのです。
それどころか外耳炎も完治して、どこを触っても大丈夫な子に戻ったのでした!
嬉しかったです~!とっても!!
抗ガン剤を受けて本当に良かったと思いました(^^)
気をつけなければいけなかったのは、薬のせいで非常にしっこが近くなり、
また量も増えたので、しょっちゅうシーツを取替えなくてはならないことと、
のどがとっても乾くので、お水を常に満杯にしておくことくらい・・・
いや、そんなことよりもっと大変だったのは、ものすご~くお腹がへるらしく、
うっかり置いておいた生ゴミの袋をあさって、中身を食べてしまったり(汗
あげくにゴミ箱のフタを無理矢理こじ開けて、中をあさられてしまった事も(大汗
そのせいで、内蔵の数値が悪くなったりもして・・・(涙
今まで置いておいた食べ物を食べてしまうことなど、ほとんどなかったこたろう君だったので、
最初は油断していたのですが、この頃から相当気をつけるようにしていましたね。
しかしその後、だんだんと抗ガン剤が効かなくなってきて・・・
闘病と介護の日々はまた次回に・・・
思い出すといろいろあって、なかなか全部書き切れませんね。
そういえば、最初の方に書いた平成教育委員会に出ていらした逸見政孝さん
「学級委員長」は永久欠番だそうですね。本当に素敵な方でしたよね・・・
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